プチポアン刺繍の歴史

History of PetitPointプチポアン刺繍を知る

プチポアン

織り糸を数えながらキャンバスの布目を刺すプチポアンは絵画の様な刺繍。

他のカウンテッド・スレッド・ステッチと大きく異なる点は、ステッチの針目の細かさです。最も目の粗い布でも、1cm角のなかに50ステッチ以上刺し込まれます。1cmの間に10本織り目が数えられる10目、12目、15目キャンバスと呼ばれる絹の刺繍布があり、最も細かく価値の高い刺繍は、1cm角のなかに300目も差し込まれ、刺し上がりもより緻密で美しくなります。 刺し方はテントステッチ。布の糸と糸が交差したところを、斜めにバックステッチで刺していく手法で、 刺繍に厚みが出るのが特徴です。

よくプチポアンは親子代々100年もの使用に耐えると言われるのは、この厚みを持たせた丈夫な刺繍手法によるところが大きいと言えます。加えて美しさの要である色彩は、約500色に及ぶ刺繍糸から選びつくられています。色糸を指示する記号マークに従って、一針一針模様を刺し進めていきます。

ハプスブルク家から興隆した
芸術的なプチポアン刺繍

プチポアンの歴史は古く、18世紀まで時を遡ります。

それ以前にも華やかな刺繍の代表として15~16世紀にかけてゴブラン刺繍というのがありました。ゴブラン刺繍は人物や風景を精巧に織り込んだつづれ織りを 刺繍の手法としており、一般の家庭や工房で、絵画的な図柄のテーブルマットや壁掛けなど、様々なものに利用されていました。

後には、目の粗い面や麻布のスクリムと呼ぶ上質な布を使って羽目板や壁飾りに、また椅子やソファーカバー等に利用されていました。このゴブラン刺繍が、洗練されたものがプチポアンなのです。

ハプスブルク家が権力と文化を誇っていた18~19世紀、かのマリー・アントワネットの母君である、オーストリアの女帝マリア・テレジアが君臨したハプスブルク家が、このプチポアン刺しゅうを開花させたと伝えられています。 当時、オーストリアの首都ウィーンの宮廷で、その華やかで気品あるプチポアンは、その美しさを誇っていました。

プチポアンは、ファニチャーやテーブルクロス、壁掛けなどの室内装飾から、ハンドバッグやハンカチーフなどのアクセサリー類に使われました。なかでも当時、王家や貴族の女性の心を奪っていたのが、プチポアンをあしらったフォーマルバッグでした。口金に七宝や宝石・貴石類を使い、宮廷絵画などを優美に刺したフォーマルバッグを持つことは、上流階級のステイタスであったとも言われています。

マリア・テレジアの肖像画でも、豪華なレース、宝石をふんだんに使ったアクセサリー、金糸銀糸による装飾品と並んで、プチポアンの刺繍が描かれています。

フランス宮廷に花開いたプチポアン文化

また、ロココ時代に華やかにハプスブルク家の姫君として生まれ、フランス革命によって露と消えたロココの女王マリー・アントワネットも、プチポアンをこよなく愛した一人です。

ヴェルサイユ宮殿やトリアノン王宮の調度品に、ドレスのアクセントにと、プチポアンを使いました。プチポアンの華やかさと輝きに魅了されたロココ時代の女王たちによって、プチポアンはさらに洗練され、美しさを増していったのでした。

イギリス、ドイツもプチポアンゆかりの地。16世紀のエリザベス朝時代に手芸が盛んであったこと、刺繍そのものにも古くから多種の技法を持っていたこと。そんな背景があったためか、高度な技術を必要とするプチポアンも、 早い時期から制作されていました。

このオーストリアの宮廷の優雅な歴史とともに、今日まで愛され伝え続けているロココの香りを残すプチポアンは、これからも世界中の人に憧れと喜びを与えてくれる魅力ある刺繍です。